文字の精の悪戯

先日、青山の万年筆屋さん?「書斎館」に参りました。
何本かの万年筆を試させていただきました。
ペンによって、こんなに書き味が違うものか、と驚きと
金額にもちょっとビックリでした。
特に気に入ったのは
ファーバーカステル 伯爵コレクション グラナディラ
持ち具合、バランス、書き味、ペン先の柔らかさ・・・相当ヤバい!
残念ながら身分不相応なので、潔く引き下がりました。
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ペンの魅力に触れて少し思った。
主述が逆転する感覚って不思議に気持ちがいいのかも?
思索はすなわち、言葉・言語であり、その表現行為は発音・記述。
言葉・情報によって考えている、ペンによって書いている・・・とか
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安部公房の『壁』の中の短編で
会社に行ったら名刺(もう一人の自分)が働いている・・・っていうのもそんな感じ?
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加えて
テレビやネットでせっせと情報探索していて、日々ますます楽しくなっていくが
ふと、中島敦の『文字禍』の「文字の霊」の話しも思い出した。
以下引用
−前略−
今は、文字の薄被(ヴェイル)をかぶった歓びの影と智慧の影としか、我々は知らない。近頃人々は物憶(ものおぼ)えが悪くなった。これも文字の精の悪戯(いたずら)である。人々は、もはや、書きとめておかなければ、何一つ憶えることが出来ない。着物を着るようになって、人間の皮膚(ひふ)が弱く醜(みにく)くなった。乗物が発明されて、人間の脚が弱く醜くなった。文字が普及(ふきゅう)して、人々の頭は、もはや、働かなくなったのである。
−後略−
そうそう、文字の精の悪戯。